社長秘書と社内報づくり。
想定外の社会人デビュー。
配属は管理部門でした。社長秘書と社内広報、それに総務全般。希望とは違いましたが、不満は感じませんでした。お願いされたら何事もやってみる、という性分なので。
管理部門には3年間所属させていただきました。一番の強く印象に残った出来事ですか?先輩と二人で社内の重要イベントの運営を任されたことですね。当時、中国に9社あった合弁会社のトップが来日し箱根で会合を開く。それを最初から最後までつつがなく進行するのが私たちの使命でした。最終日、皆さんをホテルからお見送りをした時は、心から安堵したのを覚えています。
英語を使って貿易実務を。
ついに「入社動機」が実現する。
入社4年目の時、念願叶って鉄鋼部に異動させていただきました。鉄鋼部の仕事は、日本の鉄鋼メーカーがつくる製品を海外の取引先に輸出すること。私は営業アシスタントとして、主にオーストラリア向け自動車用鉄鋼製品の輸出を担当していました。
オーダーが来ると、注文書を作成して鉄鋼メーカーに発注します。次に出荷指示を出し、通関書類を作成し、船のブッキングを行います。最後、予定通り船積みが終わればB /L(船荷証券)受け取って、お客様に書類を発送する。これが基本的な業務の流れです。ですが、例えば、出荷遅れが発生すれば緊急対応を行う必要が出てきます。メーカーとしても生産計画があるので遅れは許されません。在来船ではなくコンテナ船を独自に手配するのか?エアーを飛ばさないと間に合わないのか?フォワーダー(輸送仲介業者)さんと一緒に金額や時間を確認しながら最善策を探っていく…。けっこう手に汗握ります(笑)。すべてがうまくいき荷物が無事到着し、納入先担当者から「Thank you!」のご連 絡をいただいた時は、苦労も疲れも吹っ飛びますね。
再び管理部門へ。
そして初めての出産と職場復帰。
その後、原料部に異動し、輸入事務を担当しました。計5年間、輸出・輸入の双方に携われたことは、とても貴重な経験となりました。
9年目、再び管理部門で経理担当に。もうちょっと営業現場で、という思いはありましたが、 “ポジティブに変化を受け入れて、期待に最大限応えていく”のが私のモットーですから、気持ちをすぐに切り替えられました。
その後妊娠がわかり、無事女の子を出産しました。まさにコロナ禍のタイミング、妊娠中は優先的に在宅勤務をさせていただきました。産休明けの時も、業務負荷を考慮していただき、人事の給与担当として職場復帰、現在も時短勤務も活用させてもらっています。育児中も以前と変わらず、仕事と家庭のどちらかを犠牲にすることなく、新しいことに挑戦を続けられています。上司や周りの皆さんのサポートには本当に感謝しかありません。
スケールの大きなモノを日本から世界へ、世界から日本へ。
そんな輸出入の最前線に、きっとまたいつか、舞い戻ってきたいと思っています。